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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)1411号 判決 1964年5月25日

控訴人

株式会社梶塚商店破産管財人

田中徳一

被控訴人

株式会社三井銀行

代理人

毛受信雄

各務勇

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し金八七二万九五〇円及び之に対する昭和三六年一一月二三日以降完済迄年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審を通じ全部被控訴人の負担とする」旨の判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、認否及び証拠の提出、援用、認否は左記一乃至三を附加する以外はすべて原判決事実摘示と同一であるから茲に之を引用する。

一、控訴人の主張、認否。

(1)  手形法七五条によれば約束手形は振出の年月日の記載を要し之を欠くときは該手形は無効であるところ、本件各手形は何れもその振出年月日の記載がないからすべて無効である。そして仮に以上の手形が支払義務者たる破産会社によつて回収されたことにより異議なく相殺の結果を承認又は追認した結果となるとするも、無効な手形債務の承認又は追認を為すには新たな行為たるに必要な条件を具備すべきであり、手形行為は要式行為であるからその方式を践むことを要する。しかるに本件に於いては何等新な手形行為のないことは明らかであるから、本件手形が単に破産会社に回収されたことにより無効な約束手形が有効となる理由はない。

(2)  約束手形が右(1)の記載の如く要件を欠き絶対無効である以上その手形に関して為されたすべての行為は無効で振出人たる破産会社は何等の責任を負わない。乙第二号証手形取引に関する約定書は昭和二八年四月一〇被控訴銀行が株式会社帝国銀行を称していた当時、破産会社より差入れた一方的約定書であり、手形取引に附随するものであるからその有効期間は三年乃至五年であり、それ以上に効力を持たせるためには右約定を更新しなければならない。その後五年を経過した昭和三三年八月一四日破産会社と被控訴人との間の根抵当付取引約定書(乙第四号証)及び普通預金規定には乙第三号証第一条の規定は全く削除されているのであり、本件相殺当時には両者間には乙第三号証第一条による約定は存在しない。従つて之あることを前提とした相殺は無効である。

(3)  仮に乙第三号第一条の約定が当事者間になほ存続していたとするも斯る約定は無効な行為を有効とし、法律の強行規定に反することを目的とし要式証券たる手形の基本を破壊するものであるから、公序良俗に反し無効な約定と言うべきである。

(4)  破産会社は昭和三五年一〇月一九日支払を停止した以後は支払期到来の手形は全部支払を拒絶していたのであり、他方、本件預金債権は右支払停止後及び破産申立後も存続していたのであつて(甲第一一号証)、破産債権者は本件預金を唯一の財団と信じていた。しかるに被控訴人は支払停止及び破産申立後である昭和三六年一月一二日破産会社到達の書面を以て一方的に相殺を為したのである。否認権の対象たる行為は必ずしも破産者又はその代理人の行為に限らないことは破産法七五条の規定上明らかであり、本件相殺を否認し得ないならば、一般債権者は不当に損害を被り公平の原則に反する。即ち若し本件相殺が有効であるならば、これを破産者の行為と同視し破産法七二条一、二号により否認し得べく及同条四号によつても之を否認し得ると解すべきである。

(5)  本件破産宣告を為したのは東京地方裁判所である。本件相殺の意思表示が破産会社に到達した昭和三六年一月一二日当時には破産会社の債権者の集会が行はれ、破産会社の代表者の印鑑はすべて債権者の集会に提供され、同会社の一切の行為は右債権者等の代表者によつて行れることになつていたので、会社代表者梶塚広一は右相殺を追認する権限を有しなかつたのである。

(6)  被控訴人主張の後記(1)は争う、(2)は不知、(3)は否認する。

二、被控訴人の主張、否認

(1)  被控訴人と破産会社との間の極度額一一五〇万円の根抵当契約の内容は乙第四乃至六号証記載の通りであり、本件約束手形は右根抵当契約によつて担保される債務である。甲第一乃至九号証の手形は何れも裏書の日に手形割引の方法によつて被控訴人において取得したものである。

(2)  甲第九号証の手形は相殺当時には本来の支払期は未到来であつたが、乙第三号証三条によつて他の手形が不渡になつたことに因り履行期到来の効果を生じたものである。

(3)  乙第三号証による約定は乙第四乃至六号証による取引のすべてに適用されていたものである。

(4)  原判決書中第五枚目裏第五行目に「破産会社に対し有する」とある次に「債権は」が脱漏しているから之を附加する。

(5)  控訴人主張の(1)乃至(5)はすべて争う。被控訴人は控訴人主張の債権者の集会には加はつていなかつた。

三、新たな証拠<省略>

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求を理由なしと認めるものであり、その理由は左記を附加して当審に於ける控訴人の主張を判断し且つ原判決の理由を補充訂正する外は、すべて原判決の理由と同一であるから茲に之を引用する。

(一)  本件約束手形が振出年月日を欠くものであることは当事者間に争なく、斯る手形が手形として無効であることは手形法第七五条、七六条の規定上明かである。しかし破産会社より被控訴人に差入れた乙第三号証の第一条には「当方振出、引受、裏書又は保証の手形で万一手形要件を欠くため手形として効力のない場合でもその手形面記載の金額及利息等支払に応ずる」旨を規定しておるところ、同号証の記載、その体裁から見て何れも真正に成立し乃至は各その表示銀行によつて使用されているものと認められる<省略>の記載を綜合すれば、右乙第三号証第一条特約の趣旨は被控訴人が破産会社(株式会社梶塚商店)の振出、引受、裏書又は保証をした手形割引又は手形貸付等の方法により出捐を為した場合は、これにより取得した手形が万一手形要件を欠き、従つて被控訴人として手形上の権利を主張し得ない場合は、破産会社に於いて当該手形金額及び利息に相当する金額の支払の責任を負担する意味であることは明かであり、前示<証拠>によれば銀行が顧客との間に所謂手形取引を為す場合には斯る特約を附することが普通と認められる。而して斯る特約は一見、手形の振出又は裏書等を為した者に取つて厳格に過ぎる約定の如く思はれるが、銀行としては手形を取得し之に対応する出捐を為した場合、手形の厳格性の故にその無効な場合も出捐した金員の回収を確保することを要し、振出人、裏書人等銀行の相手方に於いても銀行より直接又は間接に手形貸付又は手形割引を受け得ることによつて確実且つ迅速に資金調達の便宜を取得し置く必要のある点を考えれば、斯る特約は必ずしも一方的なものと言うことを得ず、契約自由の原則の建前上有効と謂うべきこと勿論で何等公序良俗に反するものではない。

(二)  しかして右乙第三号証は控訴人主張の如く昭和二八年四月一〇日破産会社から被控訴人(当時の商号は株式会社帝国銀行)に対し差入れられたもので、<証拠>に依れば、当時破産会社の代表者であつた右証人は乙第三号証に第一条の特約のあることを諒解の上被控訴人の求めに応じて四号証を差入れたこと明かであるから此による同号証記載の契約が成立したこと勿論である。そして(1)同号証による契約には何等期限の定のないことはその記載によつて明かであり、(2)原審竝に当審証人梶塚広一の証言によれば同号の約定書は差入以後手形割引等の金融を受けることを前提として差入れたものであり、破産会社はその後本件相殺当時迄被控訴銀行と手形取引を継続して来たのであり、昭和三一年八月一四日以降は乙第四号証乃至六号証によつてその極度額を定めて取引をしていたこと、その間に乙第三号証の約定を取止めにしたこともなく又同号証と別個に斯る約定を結んだこともなく、破産会社の代表者たる右証人は本件相殺の当時まで同号証による約定は存続していたものと考へていたことが明かであり、(3)また銀行が手形取引について右の如き特約を附することが現在に於いても普通の事例であることは既に認定した通りであり、(4)以上(1)乃至(3)の事実と本件弁論の全趣旨を綜合すれば、本件相殺の当時に於ても前示乙第三号証の特約は被控訴人と破産会社との間に有効に存続していたものと認めるべきである。

(三)  控訴人は乙第四号証(根抵当付取引約定書)及び被控訴人の普通預金規定に乙第三号証の如き特約の規定のないことを以て、本件相殺の当時には同号証の特約は存在しなかつた旨主張するが、前示(1)乃至(4)に鑑み右主張は肯認に価しない。また右特約は手形取引に附随するものであるからその期間は有効三年乃至五年に限り、それ以上継続するためには更新を要する旨主張するが、基本たる手形取引契約が存続する以上法律上右の如き主張の採用し得ないことは勿論であり、本件に於いては乙第三号証差入以後手形取引の中絶したことのないことは<証拠>によつて明らかであるから控訴人の右主張も亦採用に価しない。

(四)  以上の如くであるから昭和三六年一月一二日附同月一六日頃到達の内容証明(乙第一号証)による相殺の意思表示中自働債権の表示として同書(一)に掲げた九通の約束手形元金合計八七二万九五〇円は前示(一)に説示の理由により右各手形に関連して被控訴人の為した出捐に対し破産会社が特約により負担した債務を表示したものと解するを相当とする。而して被控訴人が右九通の手形を実際の振出日(当審証人梶塚の供述によれば右各手形は支払日の九十日乃至百日前の振出にかかるものと認められる)から数日以内に手形割引により即ちその出捐によつて取得したことは<証拠>によつて之を認むるに十分である。

(五)  破産会社が昭和三五年一〇月一九日支払を停止し、同年一二月一七日破産の申立を受け、昭和三六年四月一一日東京地方裁判所により破産を宣告されたことは当事者間に争のない所である。しかして被控訴人の破産会社に対して為した相殺に於ける自働債権の中本件手形に関連する分は前示認定の如く各手形の支払日より九十日乃至一〇〇日前に事実上振出されその頃被控訴人の出捐により取得されたものであるから何れも右支払停止又は破産申立の以前のことに属し(ただ甲第九号証の約束手形はその支払日が昭和三六年一月二四であるから、事実上の振出は昭和三五年一〇月一三日乃至同月二三日頃と推定され従つて被控訴人が之を取得したのは或は支払停止の数日后であることも可能であるが、被控訴人が支払停止の事実を知りつつ取得したものと認むべき証拠はない、此点の立証責任は控訴人に於て負担する)。其他の自働債権の取得が何れも右支払停止前に属すること<証拠>により明かである。

従つて被控訴人の自働債権は破産法第一〇四条に規定する何れの場合にも該当しないと謂うべきであり、同法第九八条により破産手続によらないで相殺を為し得ること明かであるから、被控訴人が破産会社(代表者梶塚広一)に宛てて為した前示相殺の意思表示は有効であること勿論である。控訴代理人は右相殺の書面到達の当時代表者梶塚広一は会社代表者の印鑑はすべて債権者等の代表に提供され会社の一切の行為は債権者等の代表によつて実行され右梶塚は代表権限がなかつた旨主張するが、当時右債権者等の中に被控訴人が加はつていた証拠はなく而も<証拠>によれば右の如き措置が行はれたことは認め得るが、それは唯事実上の臨機の措置であつて法律上右梶塚の代表権が衷失したものとは認め得ないから控訴人の右主張は理由がないと言うべきである。

(六)  控訴人は本件受働債権は破産会社唯一の積極財産であるから斯の如き場合に為した相殺は否認権の対象になるべき旨主張する。しかし破産法が否認権と別個に相殺権を規定し特に破産手続によらない相殺を許容することは、破産開始前に既に相殺が許される場合には破産開始後と雖もその意思表示を為すことを許しているのであり、此れ相殺権者は一旦取得した権能を、自己の何等関与しない又関与し得ない相手方(破産者)の行為に原因する破産の事実に因つて衷失せしめられる理由がないとしたからである。ただ之を無制限に許すことは破産財団を不当に減少し債権者平等の原則に反する結果となることを考慮して前記破産法一〇四条の制限を規定したにとどまる。従って仮令本件受働債権が破産会社の唯一の財団を為し相殺の結果これが消滅することになるにしても、これを理由に否認し得ないことは謂うまでもない。

(七)  以上の通りであるから控訴人の主張はすべて理由がないと謂うべきである。

仍て民訴法第三八四条、九五条、八九条を適用して主文の通り判決した。(裁判長判事鈴木忠一 判事谷口茂栄 加藤隆司)

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